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ニジンスキー(Nijinsky II〔種牡馬入りの際、すでにアメリカでは同名の種牡馬がいたためNijinsky IIと「II」が付けられた。またインドにも同名の競走馬として、1967年のインドダービー・インドセントレジャー勝ち馬Nijinskyがいた。〕、1967年 - 1992年)は、カナダで生まれ、アイルランドで調教された競走馬である。史上15頭目のイギリスクラシック三冠馬。種牡馬としても1986年にイギリス・アイルランドのリーディングサイアーとなった。名前の由来はロシアの伝説的なバレエダンサーであるヴァーツラフ・ニジンスキーから。 == 誕生 == ニジンスキーは1967年2月21日にカナダのウインドフィールズファームで生まれた。生産者はエドワード・プランケット・テイラー。ニジンスキーの父はそのテイラーが生産した後の大種牡馬ノーザンダンサーで、ニジンスキーは2世代目の産駒となる。小型馬が多いノーザンダンサー産駒にもかかわらず、ニジンスキーは体高(キ甲=首と背の境から足元まで)が170cmを軽く超える大型馬であった。母のフレーミングペイジもテイラーの生産馬で、カナダのダービーにあたるクイーンズプレートを勝ち、アメリカのケンタッキーオークスでも2着に入った実績を残していた。 テイラーは生産馬を売りに出し、売れ残ったもののみ自ら所有していたことで知られる。ニジンスキーは1968年の夏に6万カナダドルで売りに出され、購入を申し込む者が3人現れた。3人の間で入札が行われた結果、8万4000カナダドルで宝石商のチャールズ・W・エンゲルハードが購入することになった。ニジンスキーがエンゲルハードに購入されるきっかけとなったのは、アイルランドの調教師ヴィンセント・オブライエンの目にとまったことにある。オブライエンはエンゲルハードに頼まれてリボーの産駒〔エンゲルハードはリボーに魅せられて馬主となり、リボッコ・リベロ兄弟(共にアイリッシュダービー、セントレジャーステークス。共に後年日本に輸入)を初めとして毎年リボーの仔を持つのが慣例となっていた。この年も見所のあるリボー産駒を探していた。〕を見にウインドフィールズファームを訪れていたのだが、目当てのリボー産駒よりもニジンスキーに目を奪われてしまった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ニジンスキー (競走馬)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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